となりのトトロ

監督 宮崎駿

 久しぶりにテレビで映画を見た(いつも映画館でという意味でなく、放送で)。小学生くらいの時に見て面白いと思った記憶がかすかにある。とくに真っ黒くろすけがサササッと動く映像の印象が強く残っており、ストーリーはまったくと言っていいほど記憶になかった。またトトロについてもほとんど記憶がなかった。

 引っ越しの場面から始まる。引っ越してきた先は美しい田舎。おばあさんは方言をしゃべり、
ひたすら牧歌的光景が映し出され、メイとさつきがはしゃぎ回る様子が描かれる。子供の持つ気持ち悪いまでの限りなきイノセンス描写と、徹底的な自然賛歌の前半部分は、捻くれて汚れている普通人間のわたしには、退屈で、不愉快でさえあった。

 緑や小川の流れ、風にはためくスカートの滑らかなアニメーションはきれい。大風の時に雨戸がガタガタガタガタ音を鳴らしたり、バケツが風にとばされてぶつかり合ったりする描写はすばらしい。まっくろくろすけの動き、トトロの歩き方、トトロが空を飛ぶシーン、美しいアニメーションだ。

 後半部分に入ると病気の母親が登場してきて映画の雰囲気はかなり変わってくる。さらにメイが迷子になりみんなで探したりして、お涙頂戴物の構成になる。

 気になったのが父親の声。糸井重里っぽいなぁ、とおもったら本当にそうだった。メイとさつきのハイテンションやおばあさんの方言とは対照的に抑揚のない淡々としたしゃべり方がイイ、と言うことなのかもしれないが、わたしは違和感を感じた。ネットで調べてみると糸井重里の声に違和感を感じている人はわたしだけではないようだ。

 子供が主人公で子供の無垢な美しさと、自然の美しさを描いた作品なのだろう。しかし、この映画で描かれているのは、大人が子供に期待する子供のイノセンスだ。大人が見たい子供のイノセンスだ。子供や自然の或る一面だけを描き、他の面には気がつかないふりをしているように思えてしまう。ある一面だけを描くのは、悪いことではないと思う。しかし、気づかない振りをして見る者を上手く騙そう、というようなあざとささえかんじてしまった。

 ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』ではないが、子供はその正直さゆえに残虐で残酷なものだ。
 

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