アバウト・ア・ボーイ
監督 クリス・ウェイツ / ポール・ウェイツ
出演 ヒュー・グラント / トニ・コレット / レイチェル・ワイズ / ニコラス・ホールト / イザベル・ブルック / シャロン・スモール / ビクトリア・スマーフィット
 
 
 原作がニック・ホーンビーということもあり、全体的に『ハイ・フィデリティ』と極めて似通った雰囲気の映画だ。主人公の部屋にもカナリたくさんのCDとレコードがあった。
 ヒュー・グラント演ずる主人公のウィルは38才で無職、著名なクリスマスソングを作った父の印税で生活している。徹底的に自己中心的で、他人に自分の生活を乱されることを一番きらう。「島」と呼ぶ自分の部屋にいるときが一番快適そうに見えるが、ときどき「おれってなんなんだろ」といった感じで頭をかきむしってしまう。こんな自己中心的な生活のために、女に縛られることもきらい、もちろん独身だ。ガールフレンドをつくっても二ヶ月以上持つこともない。結婚を考えたこともないようだ。
 あるときシングル・マザーは後腐れが無くて良さそうだ、ということに気が付いたウィルはシングル・ペアレンツの集会に出席し、そこで知り合ったシングル・マザーを通して12才のマーカスとしりあう。マーカスはいつの間にか歌を口ずさんでいたりする変わり者で学校ではいじめられている。マーカスの母親はマーカスを強烈に愛しているが、情緒不安定で自殺未遂をしてしまう。ほかにも出演キャラクターみんながどことなく愛着のもてる魅力的なものばかりだ。
 ヒュー・グラントは非常にかっこよいい。しゃべり方といい。微妙な演技といい。なかなかいい感じ。ただかっこよすぎてダメ男という感じがしないところが欠点といえば欠点。マーカス君も少年の弾けるような魅力をだしていていい。ウィルとマーカスの魅力あるキャラクター、ナイスセンスの選曲、ところどころあるユーモアな笑えるシーン、などは良いのだが、母親たちのキャラクターがイマイチ中途半端なこと、エンディングもいまいち盛り上がりに欠けつまらないこと、別に必要なかったんじゃないかと思えるような人物やエピソードが多すぎること(必要ないエピソードとか入ってる映画はすきだけど、あまりキッチリしすぎてるのは疲れる)、そして何といってもいただけないのはやたらとモノローグが多いことだ。ひたすら独白、独白、独白で、これは小説の朗読を聞かされているようだ。
 良いのは、最後までみたところで、誰も変わっていないんだろうなぁ、というところ。ウィルはこのまま、なんだかんだいって優雅なシングル生活をつづけるだろうし、「島」を荒らされることを嫌うだろう。「人と一緒にいると楽しいなぁ、やっぱ、人と人とのつながりってのもいいなぁ、でも、やっぱオレは一人がいいや、だって楽だし。」って感じ。絶対そうだ。ここがウィルが本質的に変わってみんなで手を取り合って生きていく人間になりました、めでたし、めでたしって感じになってしまうと、説教くさくてどうもいやだ。というか、こういう人間はかなり頑固で変わらないように思う。というか38にもなってすぐ変わってしまうようなことはありえない、とさえ思う。
 マーカスはまだ12才だからどうだか分からないけれども、とにかく変人であることは間違いなく、まわりが大人になるまでいじめられ続ける公算が大きいように思える。だいたい、この映画では急にガラッと周囲の雰囲気が変わっいたけれども、こう言うのは余り好きではない。そんなことは起こりえない。マーカスもやっぱり大人になってもちょっと周囲から浮く存在になりそうだ。
 この映画はウィルの「空っぽ」生活にあこがれを感じつつも、やっぱりそれでは不満や空しさにとらわれる多くの人間の為にあるのだろう。「空っぽ」とは、意味がない、孤独ということだ。結局、生きていくというのは意味がないことだし、孤独なものだけれど、みんなは何か意味があって、孤独でないもののようにして生きている。ところが、ウィルは孤独に意味なくいきている。
 ウィルのような人間はとても多いように思える。とくに映画や音楽や本が好きな人間には多いとおもう。徹底的に自己中心的で、人や社会のことは余り考えない。人のことを考えるときは、考えなければ自分の生活が乱されるときだ。自分の生活を乱されるのはイヤ、かといって「自分の生活って何?」といわれたところでなんだかわからない。それでも、とにかく乱されたくない。だらだら生きていきたい。働きたくない。そんな感じ。それでも、ときどきそんな空っぽ生活がつらくなって意味や連帯を求めそうになる。
 まったくだれかを見ているようでしたよ、わたしは。
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